なぜブログを始めるのか

 自分の意見を言語化するのが苦手だと感じていて,ブログを書くことを通じてそれを解消したいと考えたためである.

 言語化が苦手だと感じ始めたのは,ちょうど去年,研究室に配属されてからである.そのときまで正直勉強に困ったことはなかったので,研究生活も余裕だろうと考えていた.配属されてすぐに数学ゼミの担当をしたり,研究宣言もやったりしたが,指導教員の会議があったりであまり詰められたり,自分の意見を求められたりすることはなかった.研究宣言のあとは院試勉強オンリーだったので,その後も自分の意見を言語化する機会はほとんどなかった.しかし,院試も合格して9月から本格的に研究をやることになると,状況は一変した.毎回の進捗報告で詰められだしたのである(つめるというか,単に質問しているだけなんだろうけど,研究初心者にとってはどちらも同じである).指導教員に「なぜこれをやったの?」とか「結局何をやったの?」と聞かれるが,頭が真っ白になってしどろもどろになり,まともに答えれないということを毎回のゼミでやっていた.答えられないので沈黙していると,助教や先輩が助け舟を出してくれることもあった.それもないときは指導教員が「全くわかってないね.自分の手法くらいは理解しておかないと.」と言って開放される.この流れを毎回やっていた.また別の話としては,居室にいる助教にアドバイスを求めに行くときにも,自分の言語化能力のなさを感じることが多かった.説明を試みるのだが,うまく表現できなくて「結局何を聞きたいの?」と言われる始末である.卒論終盤になると「自分でも何を聞きたいのかわかりません」と言っていた.今なら笑えるが,当時は結構しんどかった.以上の話から分かる通り,自分は研究生活を通じて言語化が苦手なことを自覚したのだ.

 自分の意見の言語化には以下の2つの能力が必要だと考えられる.

  • 話題に対する知識
  • 意見の言語化能力

知識に関しては,自分で言うのもなんだが勉強は得意なので時間が解決してくれるだろう.ただ,言語化能力に関しては訓練が必要だと感じている.思い返すと,これまでの人生で自分の意見を言葉にしたことはあまりなかったように感じる.余談だが,今アメリカに留学していて,そこでは意見を求められる場面が多い.「お前はどうしたいんだ?」と友達から聞かれるが,うまく答えられない.もちろん英語なども原因なのだろうが,大きな問題は自分の意見がそもそもないことだと思っている.そして,アメリカ人は意見をはっきり言う.友達の間でもそうだが「それはやりたくない」とか言うし,授業でも質問をバンバンするし,「ということは,ここはこうなりますよね?」とか先生の説明を待たずに答えを言う生徒もいる.質問に関しては,正直あほかと思う質問もあるのだが,それでも発言するのはすごい.自分は授業でも質問や主張をうまくできていないので,見習いたいなと思っている.話を戻すと,自分には言語化能力の訓練が必要なのである.言語化能力は,いくつかの要素の組み合わせだと思われる.

  • 語彙力
  • 伝え方に関する知識
  • 意見を明確化する力

語彙力や伝え方に関する知識はそこらへんのビジネス書で読めば身につけれるとして,意見を明確化する力は訓練が必要だと思う.結論を言うと,自分が言語化が苦手なことの原因は,「意見を明確化する力」が欠落していることであると考えたため,その力を養うための手段としてブログを始めることにしたのである.

 三日坊主で有名な自分だが,気が向いたときに自分の意見を書いていけたらいいなと思っている.